来るべきアレフバー の世界

ペルシア文学の余白=世界文学の中心

ヤシーン・ハージュ・サーレハ『シリア獄中獄外』

11月に通勤電車で読んだ本です。 

 

シリア獄中獄外

シリア獄中獄外

 

 

今年の6月に出た本です。訳者は岡崎弘樹さん。

 

書誌的な情報に触れておきますと、原著は2012年にアラビア語で刊行されたもので、本書は2017年の第2版を日本語訳したもの。アラビア語タイトルはبالخلاص! : ١٦ عاماً في السجون السورية 、ALA-LC翻字だとBi-al-khalāṣ yā shabāb! : sittūn ʿām fī al-sujūn al-Sūrīyah になります。

 

著者の説明として、アラビア語第2版では、「第一版の一部誤植を修正したほか、部分的に若干の加筆や脚注を加え、「年月と場所の面持ち」(第一章)の最後に十六年の獄中生活を経てラッカに戻ったときの記憶について書き加えた」(p. 249)とあります。

 

また、訳者解説には、「本書はアラビア語第二版にもとづいているが、フランス語版の序文と追補の論考「忘却の地、シリア」(第十章)についてはフランス語も参照しつつアラビア語原文から日本語に訳している。また日本語版では独自の序文とともに「政治としてのパルミラ——アサド帝国の秘密工場」(第十一章)を追補した。このエッセイはもともとアラビア語第二版に加える予定であったが、紙幅の都合上断念したという。」とあり、日本語版でしか読めない貴重な文章を含んでいます。「日本語版によせて」という著者の序文のほか、原書アラビア語版初版と第二版、フランス語版(2015年)の序文も訳出されています。

 

アラビア語版の版元のウェブサイトに、日本語版の出版について紹介する記事が掲載されています。

"بالخلاص يا شباب" باليابانية

  

*ちょっとカタロガー向けの蛇足になりますが、本書の表題紙裏にはBIL-KAHLAS YA CHABAB!というローマ字タイトルがあります。これはアラビア語の原題をフランス語風に翻字したものですが、フランス語版のタイトルは Récits d'une Syrie oubliée: sortir la mémoire des prisons.となっていて、おそらく、フランス語版のどこかに記述があるのでしょうか。この記事を書いている時点では、フランス語版の目録がWordcatにもBnFにもなくて、BLで見つけることができましたが(目録はこちら)、BIL-KAHLAS YA CHABAB!という表記について記述はなく、アラビア語版はネットで初版のpdfを見ることができましたが、こちらにもこの記述はなし。なので、VT:ORというよりはVT:OHということになるでしょうか。カタロガー以外には意味不明な話ですみません。

 

さて、本書はひとことで言えば監獄をめぐる「政治評論」であり、獄中記というカテゴリーには収まりきらない、獄中と獄外の様々な視点から、監獄(文字通りの監獄と「大きな監獄」としての現在のシリアの政治状況)について考察するエッセーとインタビューから構成されています。 この本が出ている時点で、著者サーレハの弟の一人がISに、また妻が別のイスラーム主義者の集団に拘束されており安否が不明という状況にあり、日本からはなかなか知ることのできない、現在進行形の「監獄」の拡大について知るために大いに参考になる一冊だと思います。

 

日本語版の序文で著者は、欧米のメディアではなくシリアの人々からシリアを知って欲しいと私たちに呼びかけています。また、著名なジャーナリストであるロバート・フィスクについて、アサド政権から得た情報だけを報じ、「シリア人たるわれわれの思想的、政治的な行為主体性を認めず、紛争におけるわれわれの代表・表象する力を否定し、欧米政府との対立という問題にすりかえてアサド政権のために書きつづける」と批判しています。フィスクは奇しくも去る10月末に死去したのを私もチェックしていたので、妙にタイムリーな記述として読みました。

 

 

シリアの状況については、刻一刻と変化するものであって、私のような門外漢は責任あることを言える立場にはありませんが、先日、NHKスペシャル「世界は私たちを忘れた〜追いつめられるシリア難民〜」をご覧になった方も多いかと思います(追記:2020年12月6日午前11時からBS1で放送予定です)。レバノンのシリア難民キャンプの劣悪な環境、誘拐されて臓器をとられてゴミ捨て場に捨てられた子どもや、子どもたちを養うために売春に手を染めてしまう母親、妹を置屋に売り飛ばす兄、レバノン人による暴行など、もう見ているのも辛い現実が描かれています。国外にもシリア人にとっての監獄が拡大していることがわかります。

 

www2.nhk.or.jp

 

ここでは本やテレビ番組を紹介することしかできませんが、図書を通して何かを知るきっかけにはなれるでしょうか・・・

 

 

Copyright © Yasuhiro Tokuhara, All rights reserved.