ということで、気を取り直しまして本の紹介を。本当は2日に1冊ぐらい本を紹介したいんですけどね。昔読んだものも含めて。
紹介が遅くなってしまいましたが、8月に通勤電車で読んだ本です。
版元のサイトの商品紹介:
米トランプ政権の岩盤支持層「キリスト教福音派」の取材を先取りし、「中東ドローン戦争」を予見した駐エルサレムNHK特派員による深層リポート。ハイテク立国イスラエルと激変する中東情勢を、「イノベーション」「アメリカのキリスト教福音派」「シェール革命」など、複数のキーワードから多角的に読み解いていく。長期取材によって〈見えにくい国イスラエル〉の実像を浮き彫りにし、中東のみならずアメリカ、湾岸諸国、そして世界のゆくえを占う渾身のルポルタージュ。国際社会で活躍するビジネスパーソン必読の書。
いくつか手にとってみたい本があり、書店に行ったのですが、その一つがこれでした。著者が大学の同期だから単純に気になったということもありますが、そのタイトルから、なんかイスラエル寄りの本か?と思って、アラビストである著者がイスラエルについて何を書くのか、興味を持ったからでした。読み終わっての感想をツイートしています。
澤畑剛君の『世界を動かすイスラエル』を読みました。春日孝之『イランはこれからどうなるのか』以来の個人的ヒット。ネットのニュースだけ読んで何か言ってる大学教員とは取材力が違う。 https://t.co/C9jGpeIJk1
— Yasuhiro Tokuhara (@tokuhararian) 2020年8月25日
時は8月。この本自体は、7月に刊行されたばかりのものでした。奇しくも、8月13日にイスラエルとUAEが米国の仲介を受けて国交を樹立したということがマスコミでも取り上げられていましたが、その取り上げられ方には、個人的には違和感がありました。
テレビでは、イスラーム教徒が多数派であるアラブ諸国と、パレスチナ問題を巡って対立しているはずのイスラエル(しかも右派政権)が国交を樹立するということが、センセーショナルな感じで報道していましたが、それは「イスラームvsイスラエル」という暗黙の対立図式を作ってしまっているからそう思われるのであって、エジプトやヨルダンは以前からイスラエルと国交を持っているし、イランとサウジの間にも国交はある。国際関係というものを、宗教・宗派やエスニシティによって類型化してしまうと、対立や友好の裏にある本当の利害関係が見えなくなってしまいます。
もちろん、「イスラームとシオニズム」、「スンナ派とシーア派」といった対立軸は、存在しないとは言えません。それは集団同士の利害的な対立があって初めて浮き彫りになる、敵と味方を分けるレッテルのようなものです。国民国家においては国家間の対立が往々にしてネイションの対立として語られ、また実際に信じ込まれてしまう。
しかし経済や安全保障面での利害関係の前では、そんなものは吹き飛んでしまいます。なぜイスラーム共和国であるイランと、宗教を否定する社会主義国である中国や北朝鮮に国交があるのか、考えてみれば分かります。
なぜイランとアメリカがくっついたり離れたりするのか、宗教では説明できません。ロシアとアメリカの関係を、ロシア正教とプロテスタントの対立と説明する報道があるでしょうか?日本人が中国を脅威とみなすのは、単純に安全保障と経済的な利害関係によるもので、宗教とか人種によるのではないことは明らかです。ところが、自分以外の他者同士が対立していると、ファナティックな理由で睨み合っていると思ってしまう。こういうところにも、中東という遠い地域への偏見が潜んでいる。
昔、どこかで柄谷行人が、小説なんかに描かれる左翼の活動家は、四六時中革命とかそんなことしか考えていないように描かれがちだが、そんなはずはない、というようなことを言っていましたが、それと同じことかも知れません。反対に、今、一部の若い人たちはキャラを立てないと生きていけないという焦燥感があるのか、あえてレッテルを貼られたがる傾向があるように見えますが・・・生きるって大変ですね。
閑話休題。
さて、そんな偏見丸出しの私の意見はさておき、本書の著者は、長らく経済・エネルギー・金融業界を担当してきただけあって、国際関係を経済の関係から見る視点が身についている。金の動きというのは、外からは察知するのが難しいから、とてもためになる。
そして、本書を読むと、この「国交樹立」より以前から、サウジアラビアをはじめとする湾岸諸国がイスラエルと秋波を送り合っていたことが分かります。その辺は、是非本書を読んで確認していただきたい。ある意味、この「国交樹立」を先読みしていたといっても良いでしょう。
私がこの本をあえてお金を出して買うのには、もう一つ理由があります。
新書という媒体は、基本的には雑誌と単行書の中間ぐらいのタイムリーな内容を手っ取り早く本にするために用いられる形態だと思いますが、中には、井筒俊彦『イスラーム哲学の原像』とか、E.H.カー『歴史とは何か』、高坂正堯『国際政治』のように、教科書的に使えるものや長く読み継がれる名著もあります。
しかし最近は、テレビ出演で名の売れた専門家とかどっかの社長とか有名人が書き下ろした自己啓発本とか、本当に内容の薄っぺらい、典拠もエビデンスも不明なもの(このブログみたいなw)が目立つので、新書全体の信頼度が下がっているように思います。
そんな新書の世界で、学術書でもなければ啓発本でもないけれど、一つのジャンルを形成しつつあるのが、本書のような、記者の現地取材に基づく現地レポートものです。
かつては、新聞記者が会社をやめてフリーになるときに、ルポとかを単行本にして出すなんてこともあったと思いますが、最近は、駐在を終えて帰ってきたときに、文字通り報告のような形で出すものが多いように感じます。
例えば、本書には、著者が実際にインタビューしたり取材したりして得られた情報や証言が記録されています。こういう情報は、欧米の研究書にも存在しなければ、外交資料にも記録されていない、取材した人だけが持っているものです。
もちろん、その内容がどこまで正確か、という問題はありますが、ほかに資料がないような場合には、一つの証言であることは間違いない。
上に引用したツイートでも触れている春日孝之さんの『イランはこれからどうなるのか』も、冒頭こそイラン生活の苦労が滲みでるような愚痴が書かれていますが、さすが「足で稼ぐ毎日新聞」と言われるだけあって、春日さんは、アフマディーネジャード政権時代のイランにおいて、独自の嗅覚でもって取材を続け、穏健派の精神的支柱の一人であった大アーヤトッラー、モンタゼリー師——この方は2009年に亡くなっていますが——に、2回も会いに行って話を聞いています。これも、ほかのどこにも載っていない情報です。
記者が自分で取ってきた話というのは——多くは翻訳や通訳を介しているために多少のブレはあるのかも知れませんし、研究者の書く論文のように学問的に確立された方法論に則っていないかも知れませんが——それ自体が、欧米の学術書にも載っていない、そこにしかない情報なわけですから、たとえこの新書の主題や内容自体が古びて絶版になったとしても、決して消えることのない資料としての価値を持っています。
『世界を動かすイスラエル』も、著者が自分でタハリール広場の前に泊まり込んで目撃した光景や、自分の足で稼いだ取材に基づく知見が散りばめられています。しかも東京外大仕込みの語学力ですから、通訳を介することで生じる齟齬や誤解も少ないと思われます。
きょうび、大学の研究者というのは、フィールドワークを主体とすべきような分野でも、やれ週4日は大学に出勤しろだの、授業は週何コマ担当しろだの、毎週の教授会やその他の会議のための会議、入試の手伝いなどがノルマ化され、現地に行けるのは1年のうちにせいぜい数週間、なんてことも珍しくありません。
かつては、大野盛雄『イラン農民25年のドラマ』みたいな長期間のフィールドワークにもとづく名著もあったわけですが、現地に数年間住んで、現地の空気の中で世の中の流れを読み取って取材し、駆け回る、記者という人間にしか、もうこの手の本は書けないのではないか。
本書はトピックとしては今こそ読むべき旬の本ですが(バイデンが大統領になった場合の米・イスラエル関係についての予測も書かれています)、取材した内容というのは、永遠にこの本だけのものですから、長く手元において損はないでしょう。