来るべきアレフバー の世界

ペルシア文学の余白=世界文学の中心

タラーネ・アリードゥースティーとの一日

去る6月10日(土)、アスガル・ファルハーディー監督、タラーネ・アリードゥースティー主演のイラン映画「セールスマン」(原題:Forushande)が公開されました。東京ではBunkamuraル・シネマ、新宿シネマカリテ、立川シネマシティ(17日〜)で上映。イラン映画ファンでなくとも必見の映画です。

映画『セールスマン』公式サイト

 

タラーネ・アリードゥースティーといえば、私のMacの壁紙になっていることで一部で有名ですが(笑)、トランプ大統領ムスリムに対する差別的な移民政策に抗議して、ファルハーディー監督とともにアカデミー賞受賞式をボイコットしたことで日本でも少し話題になりました。 

 

サッカー元イラン代表選手・監督の父と、著名な彫刻家の母をもつタラーネは、美貌もさることながら、同世代のイラン女優の中でも抜きん出た演技力をもつ実力派女優として認知されており、これからのイラン映画界を牽引するに相応しい存在感をもつ女優です。

語学にも長けており、流ちょうな英語を話すだけでなく、アリス・マンロー作品のペルシア語訳も手がけています。*1

 

そんなアリードゥースティーさんが今回、「セールスマン」公開にあわせて初来日し、ル・シネマで舞台挨拶、また東外大と早稲田大で旧作の上映会とトークイベントを行うということで、追っかけをしてきました。といっても、8日の東京外大でのイベント、9日の「〜浜辺」特別上映会&トークショーは、諸事情によって行くことができず。10日の舞台挨拶と早稲田のイベントに行ってきました。

 

「セールスマン」舞台挨拶

普段はイラン映画は新宿で観ることが多いのですが、久しぶりに渋谷に行きました。学生の頃はちょくちょく来ましたが、高級文化と無縁の貧乏学生でしたので、Bunkamuraに入るの自体、多分初めて。

 

10時の開館前に行列ができていましたが、今回、座席指定券全て完売とのアナウンスがされて、帰って行く方もちらほら。ネットを使わない人には厳しい時代ですな。

 

先着60人だかには、イランのドライいちじくがもらえるということもあり、並び順を崩さないよう再三の注意を受けながらエレベーターで6階へ。

これが目当てというわけではなかったのですが、ゲットしました。

 

映画についてはまたの機会にレビューします。上映後、空いていた最前列に報道陣がぞろぞろと入り、トークショーが始まりました。司会はみんしるさん、通訳はお馴染みのゴルパリアンさんでした。観客からの質問コーナーはなし(くそう)。

 

今回、写真撮影については、トークショー中は禁止で、最後に撮影タイムが一瞬だけ与えられました。

arrows m03のカメラでは、暗くてブレてしまった。それにタラちゃんが照明より前に立ってしまっているので、松本零士の漫画みたいになってしまった。こんなことなら一眼レフを持ってくるんだった・・・(くそう×2)

 

不完全燃焼のまま、早稲田へ移動。

 

早稲田大学での上映会&トークショー

時間がないので、西早稲田から歩きながらおにぎりとファミチキを食べまして、いざ早稲田キャンパス10号館へ。櫻井先生の挨拶が始まっていましたが、なんとか照明が落ちる前に会場には入れました。

映画1「私はタラーネ、15歳」

1本目の上映は、2002年のラスール・サドレアーメリー監督作品「私はタラーネ、15歳Man Tarāneh, 15 sāl dāram.」(Wikipedia英語版:I'm Taraneh, 15 - Wikipedia )。この作品でアリードゥースティーさんはイランの第20回ファジュル国際映画祭、ロカルノ国際映画祭で主演女優賞を受賞しています。

幼い頃に母を亡くし、祖母と二人暮らしの15歳の少女タラーネは、絨毯屋の息子から求婚され、刑務所に収監されている父親にも承諾を得て、婚約することを選びます。しかし、精神的に未成熟な夫との関係はすぐに破綻し、タラーネは婚約破棄を決意。祖母が亡くなり、一人で生活を立て直そうとする矢先、妊娠が発覚し、身寄りのないタラーネは窮地に陥ります。

逃げるように海外に渡った元夫とは連絡が取れず、女性の人権問題を研究しているらしい元夫の母親は、支援する態度をちらつかせつつも、息子がお腹の子の父親であることを認めようとしません。父親の認知がなければ、赤ん坊のIDに父親の名前を記載することができず、私生児ということになってしまいます。イランでは婚外子は宗教的に違法な出生(ハラームザーデ)と見なされ、侮蔑の対象であり、ハラームザーデという言葉はそのまま罵倒表現にもなっています。

路上で出会った不良娘から、シングルマザーとしての道を選んだマルヤムという少女がいると聞き、タラーネも一人で子どもを産んで育てる決意をします。

生活費を稼ぐために、お腹の痛みをこらえながらレストランで働くタラーネ。ある日、とうとう仕事中に倒れ、運び込まれた病院で出産します・・・

 

このあたり、見ているのも辛くなる絶望的な場面で、日本でも乳児をもつシングルマザーが独立して生計を立てるのは非常に厳しいと思いますが、子どもを抱えて働くこともできずにセーフティーネットからこぼれおちてしまうことの恐怖をひしひしと感じてしまいました。それでもタラーネは、逆境に立ち向かいたくましく生きることを選びます。16歳のアリードゥースティーさんは、天真爛漫な優等生から母親へと成長していく主人公を見事に演じています。

 

映画2「シンプルな受け取りかた」(ネタバレあり)

2本目は、マーニー・ハギーギー監督のPazīrāyī-ye sādeh。2012年の作品です。これは個人的に面白かった。ちなみにこの日上映された2本はタラちゃんの気に入っている作品だそうです。

岩山をひた走る高級RV車(レクサスか?)。運転するのは若い女で、助手席には腕を怪我した男。彼らは、山岳地域で活動する労働者や低所得層に属する人たちを見つけては、大量の札束が入ったビニール袋を寄付し、その姿を動画に撮影しようとします。慈善団体やNGOのような活動ではなく、目的は不明。というか、金を寄付すること自体が目的のように見えます。

www.imdb.com

 

人間というものは、労働や商品の対価としては金品を受け取ることを当然と考えますが、名目もない大金をいきなり受け取れと言われたら、拒否するものです。この映画でも、金をあげたら人々は喜ぶはずだと思い込んでいる主人公の二人は、受け取ることさえ拒否する清貧の人たちに手を焼きます。しかし、一方的にお金を押しつけるのではなく、相手が望んで金を受け取ったという画が欲しい。

もうおわかりかと思いますが、ここにはODAや災害援助、復興支援という名目で先進国が途上国や被災国に金や物品を押しつけようとするのとまったく同じ構図が見えます。

 

そこで、彼らはあくまでも相手が自ら望んで金を受け取るよう、色んな頓知をきかせます。これが面白い。

例えば、ダンプトラックでセメントかなんかを運ぶアフガン人の兄弟に、男性主人公のカーヴェは、宝くじが当たったと嘘をついて金を受け取らせようとします。初めは困惑するダンプの運転手ですが、兄のほうは結婚したばかりということもあり、くじに当たったのならと納得して、つまり自分が幸運だったというストーリーにおいて、金を受け取ろうとします。

 

しかし、大金を手にしたにもかかわらず、資材を待っている人がいるからと仕事を続けようとする彼らに、カーヴェは態度を急変させます。援助する側からすれば、金を手にしたのだから大変な労働から解放されて欲しい、それでストーリーが成就するはずであるのに、兄弟は他人のために仕事を続けようとする。

カーヴェは、兄と弟の名前(モルテザーとモスタファー)を間違えた、本当にくじに当たったのは弟の方だったとして、弟が金を受け取るためには、兄に一銭も分与しないとクルアーンに誓うことが必要だと迫ります。とまどう弟に、受け取るよう命じる兄。しかしその顔は、大金を手に入れた悦びから、一瞬にしてどん底に突き落とされた暗い表情に。

まるで、相手が欲しがってもいない物資を送りつけておいて、感謝されないことや、贈り物が活用されないことに腹を立てる人と同じです。

 

主人公たちは、相手が金を受け取る理由を作り出すために、自分が欲してもいないものを買い取ろうとします。そして、結局は、欲しくもないのに買い取ったもの——埋葬されるべき子どもの亡骸や、足を怪我して殺されるのを待つだけのロバ——の後始末を、自分たち自身がしなければならなくなります。それは、金を得るためでも、誰かに命じられたからでもなく、命や他者に対する義務感からくるものです。貧乏人を労働から解放し、貧困から脱出させるというエゴによって金をばらまいてきた二人に、汗水垂らして働いたり、手を汚すことの意味が、逆説的にのしかかってきます。

 

トークとQ&A

さて、映画の後、イスラーム地域研究機構長の櫻井先生から幾つかの質問があった後、会場からの質問タイムに。

しかし、授業の一環になっているのか、学生からの質問を優先するとのこと。慶應の学生さんがまともな質問をしていましたが、結局、私の訊きたいことは訊けず(3rdくそう)。ま、しょうがないですね。 

 

ここでも、最後の最後に一瞬だけ撮影が許されました。こういうやり方が最近の流行なのでしょうか。

  

結局、上手く撮れないんだよね。遠かったのでデジタルズームでボケボケになってしまいました。やはり一眼をもってくるべきだった(くそう4度目)。

 

そんなわけで、若干心残りな点はありましたが、イラン映画を3本も観られて、生のアリードゥースティーさんも見ることができ、久しぶりにペルシア語科の後輩に会うこともできて楽しい一日でした。(了)

 

www.thesalesman.jp

 

記者クラブでもしゃべったらしい。

natalie.mu

 

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*1:The Love of a Good Woman(邦題は『良き女の愛』)の翻訳のようですが、訳書のタイトルは『母の夢Rūyā-ye mādaram』で、The Love of a Good Woman に収録されているMy Mother's Dreamから取ったものと思われます。

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