来るべきアレフバー の世界

ペルシア文学の余白=世界文学の中心

シリン・ネザマフィ『白い紙』:ペルシア語読みはこう読んだ

以前に別ブログに「白い紙(1)」「白い紙(2)」として掲載していた記事を再掲します。

オリジナルの記事の日付はそれぞれ2009年9月27日と29日です。もう6年も前の記事(時の経つのは早いですね)ですので話題としては古いですが、最近、通勤中にイランの小説を読んでいて、リアリティとかレトリックの問題について考えることがあり、以前にやりかけていたテーマですが、もう一度掘り下げられたらいいなと思っています。時間がとれるかは分かりませんが。

内容は基本的には変わっていませんが、大きな変更としては、もともと常体(である調)で書いていたのを、当ブログの様式にあわせて敬体(ですます調)に変えました。

私はまともな文章——水準がまともかどうかは別として(笑)、論文とか研究書とか書評といったカテゴリーで書かれる文章——は常体で書き、敬称も略すべきものだと信じていますが、学術書や学会誌と違って、インターネットの場合、本を一切読まないような人や、まともな文章を読んだことのない子どもでも目にしたり書き込んだりできるために、敬称を略して常体で書いていると、「有名人に向かって生意気だ」とか「偉そうだ」とか言われかねませんし、実際にそういうコメントされている人を見たことがあります。

言われるだけならまだいいですが、無用な恨みを抱かれるのは私の本意ではありませんので、敬体に直しました。こういう問題については、また稿を改めて書いてみたいと思いますが。

また、表現がおかしいところや言葉足らずなところ、また若気の至りでちょっと言い過ぎかな、と思ったところを善良な小市民風に改めました(笑)。一部、まだ無礼さが残っているかも知れませんが、素がそういう人間なのでどうかお許しを。

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はじめに

文學界新人賞の勢いで芥川賞シリン・ネザマフィの「白い紙」が受賞すると予想したのですが、その予想は見事に外れました。 

文藝春秋 2009年 09月号 [雑誌]

文藝春秋 2009年 09月号 [雑誌]

 

「白い紙」は芥川賞の選評ではかなり厳しく扱われており、やはり一部の日本語表現にたどたどしさが残っているのがネックのようです。作品の質自体にも否定的なコメントがされています。その評価に特段の異論がある訳ではありませんが、当然ながら作品の価値というのは受賞の有無に還元される訳では、ありません。

 

めでたく単行本も発売されたことですし、ここではペルシア語読みのはしくれとして、文学賞的な観点とは違った角度から、気付いた点に触れておきたいと思います。

オリジナルなき翻訳?

単行本に収録された留学生文学賞受賞作品「サラム」は、語り手が主人公の留学生だから、多少日本語に問題があっても違和感はないです。寧ろ、日本人に真似のできない独特な語りには作品のリアリティを高める効果があるといえます。しかし、イランを舞台としたイラン人の物語である「白い紙」の場合、(一部の)不自然な日本語の語りが物語のリアリティを損ねる原因となっています。無論、私は「正しい日本語を使え」などと言いたいのではありません。留学生や在日外国人の喋りそうな日本語は、母語で語っているはずの作中人物の言葉としては違和感があるという意味です。例えば、

チャドルが道の泥に引っかからないように丈を集めて、片手にかけた(『文學界』6月号p.35;単行本p.38)

といった文章がありますが、翻訳文学ならまだしも、日本人ならこのような言い方をすることは恐らくないでしょう。あたかもペルシア語の原文があって、それを直訳したかのような文章です。*1


このような、ペルシア語の表現が透けて見えるような日本語の例は他にも多く見られます。

私の後に……我々が勝つ!」(『文學界』6月号p.42;単行本p.53)

これは英語の「repeat after me」と同じで、「繰り返して」という意味でしょう。

「この広い国の地図に肉も脂も付いているまともな的が山ほどある。」(『文學界』6月号p.45;単行本p.57)


「お土産だ。ラクダの骨からできているよ」(『文學界』6月号p.46;単行本p.61)

一見問題ないようですが、日本語なら「ラクダの骨できているよ」と言いますね。骨を別の素材に加工して作る場合は、「ラクダの骨から作られている」とは言えますが。

勿論、日本語でありながらペルシア語の味わいを醸し出すためにわざとやっているのだとすれば、それはそれで敬服に値すると思います。

 

文学界 2009年 06月号 [雑誌]

文学界 2009年 06月号 [雑誌]

 

 

主語がない云々について

芥川賞では厳しい評が多かったのですが、文學界新人賞の選評では、一人称なのに主語がないという文体上の特徴が興味深い点として指摘されていました。


今回、「白い紙」について特に言いたいことは、肯定的と否定的の二点がある。第一に、視点を一人称に置いた小説なのに、「私」等の一人称主語を徹底的に抹消しており、そこに、日本語の特性を踏まえたうえでの意識的な文章作法が見られるという点である。(松浦寿輝選評「うちのめされたいと思う」『文學界』2009年6月号 p.15)


日本も日本人も登場しない「白い紙」には、翻訳文学を読むような感じがつきまとうのだが、心憎いことに、主語がなくても成立する日本語の特質を生かして、全編「私は」という一人称の主語を使わない文章で通すという、こなれた技術を披露してもいる(「私の」「私に」といったことばは出て来る)。(松浦理英子選評「切実さの表れ方」『文學界』2009年6月号 p.17)


あと『私』という主語を排した一人称の文章はイランの言葉からきているのか、それとも小説的な技巧なのか、それとも偶然やっちゃったのか、それを知りたい。ともあれ日本語に主語はいらないということをイラン人が見事に示してくれた。英語をはじめとするインド・ヨーロッパ語系統の言語の日本語に対する悪影響については、すこし自分も考えたい。(花村萬月選評「小賢しい日本語、愚直な日本語」『文學界』2009年6月号 p.18)

 

英語やフランス語が念頭にあるのかも知れませんが、主語を省いても文が成り立つのは日本語の特徴とは言えないでしょう。ペルシア語も含めて、代名詞(特に一人称、二人称)の主語を省くことのできる言語の方が圧倒的多数だからです。

しかし、これらの言語は動詞の人称活用によって主語が何であるかを明示しています。対照的に、日本語は文脈やモダリティ、敬語表現などに依存せざるを得ない点で大きく異なります。例えば「明日伺います」、「食べたい」などのように、日本語の会話文では、尊敬・謙譲表現やモダリティによって、主語がなくても誰のことを言っているのか明白な多いのですが、大半の文は「子どもを見て笑った」のように、主語を省くと誰の動作だかわからなくなり、文脈に依存するほかありません。

例えば「白い紙」では、

何もせず、ドアの近くに立っている私を見て、

「何しているの?」

何も言わず、首を振った。

「息子さんは?」母の目が居間を一周した。

指で玄関を指した。(『白い紙/サラム』p.28)

といった引用文だけを見ると、「首を振った」、「玄関を指した」は誰の動作なのか不明瞭であるし、会話文も母の発言なのかどうかは分からない。主語がなくても言語学上の「文」としては成り立っていると言えますが、文脈がなければやはり不自然な文章です。

 

著者が「私は」とか「彼は」といった、教科書的な訳文にありがちな主語を排除したのは、ある面では花村氏の言うように「イランの言葉からきている」と言えるでしょう。「指で玄関を指した。」のような、不自然なまでに主語を省いた文からは、三人称の主語を省略したペルシア語のテンポが伝わってくるようです。それは、「彼女は」「母は」といった主語を挿入してしまえば失われてしまうような、イラン現代小説独特のテンポです。だから、私が最初にこの作品を読んだとき思ったのは、まるでイラン現代小説の翻訳を読んでいるようだということだったのです。


例えば、『すばる』2008年12月号の「イラン女性文学特集」に収録された翻訳作品を見れば、主語のない一人称の文が当たり前のように用いられているのが分かります。

 

原文を確認した訳ではありませんが、恐らくその方がペルシア語原文のニュアンスに近いからだと思います。要するに、「主語がない」のは、日本語云々の話ではなくて、ペルシア語風にするためです。その意味で、「白い紙」は翻訳でないにも拘わらず、和訳で読むイラン現代文学のような味わいを持っているのです。 

すばる 2008年 12月号 [雑誌]

すばる 2008年 12月号 [雑誌]

 

 

フィクションのリアリティについて

さて、幾つかの選評では、この作品の描写におけるリアリティや観察力が評価されていました。しかし、小説=フィクションの持つリアリティとは何でしょうか。


無論、ここで言うリアリティとは、実話か創作かという問題とは関係ありません。そもそも芥川賞の候補作はフィクションでなければならない。

 

私が言いたいのは、どうして私たちにそのリアリティが分かるのかということです。

 

1979年生まれの作者は、イラン・イラク戦争当時子供で、「白い紙」の舞台は戦争4年目だから、4、5歳ということになります。いずれにせよネザマフィ氏自身が戦争を体験したとすれば、小学生以下の頃ということになります。

にもかかわらず、私たちは「ネイティブ」が語る現地の風景、何気ない習慣の描写、本当にあったイラン・イラク戦争、「ブズー」(アラビア語ではウドゥー)や「チャドル」や「イフタリ」の描写をリアルなものとして受けとってしまう。

くどいようですが描写に嘘があると言いたい訳ではありません。1984年頃のイラク国境近くの小さな町の様子など私たちには分かるはずがないので、ネイティブに「こうでした」と言われればそうですかとしか言いようがない類のものだということです。

多くの読者にとっては、「ブズー」や「チャドル」や「イフタリ」も同様でしょう。私たちに知識や先入観がないからこそ、リアルなものとして、すんなり受け入れられるのではないでしょうか。ある種の「リアリティ」の効果は情報の欠如から生れるのであって、その質は、情報の欠如を埋める私たちの想像力にかかっています。例えば「白い紙」の語り手が使う「ボロいバイク」といった言葉から、私は祖父や自分が乗っていたホンダ・カブを思い浮かべてしまいますが、他の人もそうだと誰が言い切れるでしょうか。読者の多くがよく知らない国を舞台に選ぶということには、そうしたメリットとデメリットの両方を引き受けることになり、一部の人にはリアルなものでも、またほかの一部の人には「ほんまかいな」という疑わしいものとして映りかねません。

 

「白い紙」は青春恋愛戦争小説か?

それと同じ理由で、私にはネザマフィが描く人々が、イラン・イラク戦争後のイラン国民の姿でもあるように見えて興味深かった。実際、この作品が目指すのは、戦争の悲惨を語り継ぐというよりも、現在のイランの物語を伝えることではないでしょうか。


例えば、空爆を逃れてたどり着いたモスクでの場面では、外から入ってきた人を質問攻めにして外部の情報を得ようとする人々が描かれています。


この薄暗い空間に閉じ込められている人たちの顔が無知の恐怖で怯えている。外の情報が一切届かず、新しく入ってくる人を囲んで、質問攻めにしては、何か明るいニュースを求めている。(『文學界』p.41;単行本p.50)

 
1980年代から90年代にイランに行った人なら、こんな風に取り囲まれて日本のことをあれこれ訊かれた経験があるでしょう。

この、初めての空爆の直後、一時的に避難している状態にしてはどことなく大げさな感じのする文章は、私には革命後を通したイラン社会全体を示唆しているように読めます。


外の状況を知らず(ハサンはテヘランの様子もよく知らない)、大局的な視野が得られない場所に閉じ込められた若者たちは、兵士を募るヒロイスティックな演説に魅了され、志願して出征していくのですが、それは人生という「白い紙」を手にしながら、その半分しか思い通りの色に染められない若者たちが、強硬保守派の大統領の演説に昂揚し、バスィージとなり、あるいは自爆テロ志願者リストに名前を書き入れていく様と重なって見えます。


その意味で、「白い紙」は、至るところに見られる主人公の信仰心のなさといい、「モッラ」や「イスラム教の授業」に対する軽蔑した見方といい、批判とはいかないまでも現代イラン社会の問題に対する一定の「態度」を持っている作品であると、私は思います。

 

まだ読んでいない方には是非一読をお勧めします。

(了)

 

白い紙/サラム

白い紙/サラム

 

  

*1:ペルシア語ではدامن را جمع کردن(裾を集める)といった言い方があります。

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