来るべきアレフバー の世界

ペルシア文学の余白=世界文学の中心

必要から礼拝へ、そして情欲へ〜ポップソングに隠されたパラレルワールドへの扉

そうそう、2月25日の記事の流れでは、『貞淑な妻(直訳すると処女の妻)』という映画の話をする予定でした。

 

しかしそのまえに、シャフリヤールという歌手の「ニヤーズ」(NiazとかNiyazと表記)という曲の話をしなければなりません。

 


Shahryar - Niaz - YouTube

 

2004年から2006年にテヘランで生活していた私にとっては、非常に思い出深い曲です。特に歌が良いわけでもないのですが(失礼)、このイントロがどうにもイイのです。何の変哲もないシーケンスフレーズに、安っぽいシンセギターの音がかぶせてあるだけ、といえばそれまでですが、なんかグッとくるんですよ。これを夜のテヘランを渋滞でイライラしてやっと空いている自動車道に入った、さあ「夜をぶっとばせ!」みたいな気分で聴くとサイコーですね。

実は、この曲は実はカバーであって、オリジナルのほうが名曲として知られています。

そのために、安っぽいダンスミュージックであるこのシャフリヤール版「Niaz」の格は更に低く見なされがちです。当時、この曲が好きだ、と秘書のお姉さんたち(イラン人)に言うと、彼女たちはきまって「シャハリヤールよりフォルーギーのバージョンの方がずっといいわよ」と言うのでした。あたかもそう言うことが、つまりシャフリヤール版しか知らない子どもに本物のフォルーギー版の存在を教えてやることが大人の努めであるかのように。

そのフェレイドゥーン・フォルーギーの唄うオリジナル版「ニヤーズ」というのは、もっとゆっくりとした、イランに多い8分の6拍子で、湿っぽ~く歌いあげる感じ。


Fereidoon Foroughi - Niyaz - YouTube

 

メロディと歌詞は同じだが、曲としては全然別物です。こっちの方がオリジナルなのですが、やっぱりシャフリヤール版のほうが好きですね。

 

さて、この「ニヤーズ」という曲、サビの部分の歌詞が変なのが以前から気になっていました。

Man niyazam to ro har ruz didane.

直訳すると、「俺が必要なのは、毎日お前を見ること」。

こうして訳すとそんなに変じゃないようですが、「象は鼻が長い」と同じ二重主語構文になっています。

最初のman(俺)が見せかけの主語であることは、動詞が3人称単数の-e(astの口語形)であることから明らかで、文法上の主語は、niyazam(俺の必要)です。

述語のほうも一癖あって、to ro har ruz didan(君を毎日見ること)が、一つの名詞句となり、それに「である」を意味するeがついています。

目的語を引っくるめて名詞句を作ることは、ポップソングの歌詞などでは珍しくありません。例えば、ブラック・キャッツ「ランデブー」の一節: Ay ay ay khoshgele, cheghad toro dashtan moshkele (超訳:ああカワイコちゃん、君をモノにするのはなんて難しいんだ)。「君を所有すること」 が一つの名詞句になっています。書き言葉だったら、エザーフェでつなぐほうがそれらしいと思います。

 


Black Cats - Rendezvous | بلک کتس - راندوو - YouTube

 

長くなったので続きは次回に。

今日は書店でこの本を見た。

 

白い池 黒い池―イランのおはなし

白い池 黒い池―イランのおはなし

  • 作者: リタジャハーン=フォルーズ,ヴァリミンツィ,Vali Mintzi,Rita Jahanforuz,もたいなつう
  • 出版社/メーカー: 光村教育図書
  • 発売日: 2015/03
  • メディア: 大型本
  • この商品を含むブログを見る
 

 イスラエルイラン系シンガー、リタが書いたお話の絵本(画はVali Mintzi)です。翻訳はイスラエル文学翻訳の代名詞、母袋夏生さん。リタがお母さんからよく聞かされた話だそうです。

私も3人育ててますから、絵本にはうるさいんですが、幼児に読み聞かせるには、ちょっと文章が長いので工夫が必要ですね。年長から小学生なら自分で読めるでしょうか。(その歳になると、絵本読まないんだよな〜〜)

 

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