前回の記事からまたまた時間が経ってしまいました。
まあ、毎年のことですが、この時期は仕事が忙しいのですよ。年末から年度末がシームレスに繋がって、色んなものが押し寄せてくるといいますか。実質、12月〜3月だから1年の3分の1は年度末なんじゃないかという気がしています。
というわけで、前の記事に書いたようにタブレットが壊れてネット活動が滞っていたということもありますが、端的に忙しくてブログを書く気になれなかったわけです。
この間、何をしていたかと申しますと、まず年末は一人家に籠もって『イラン研究』用の原稿を書いていました。
これまで研究会で発表したアフマド・マフムードの小説『隣人たちHamsāyehā』について、活字にしておこうということで投稿したものです(アフマド・マフムード?誰やねん?という方はこの記事をごらんあれ)。年明けに投稿し、何とか掲載されることになりました。
エロティシズム研究会との関わりもありましたので、エロティックな場面を主に翻訳しつつ、物語の視点と映画的手法について検証してみました。そのうち刊行されます、といっても非売品ですから興味のある方は大学図書館とか国会図書館で読んでみて下さい。
で、懸案のナーセル・ホスロウ(生誕)千年記念国際学会ですが、
ナーセル・ホスロウ(生誕)千年記念国際集会について - 来るべきアレフバーの世界
結論から言いますと、やめとこうかな、と。
年末に発表の要約を送ってそれは受理されたのですが、応募者が少なかったのか、1ヶ月締め切りを延ばしたんですよ。それが嫌な予感の始まりでした。
今度は完全原稿を送れという段階になり、せっせと準備していましたが、HPをよく見ると、最終的な参加の可否は、完全原稿を審査してから決めるということらしく、それじゃ遅すぎだろう、と。ビザとったり、航空券をとったりしないといけないのに、2ヶ月前になっても参加できるかどうか確定していない・・・
ま、なんとかなるだろうと思いつつ、シコシコと原稿を書いていましたが、1月の下旬になって、日程が変更になりましたとのアナウンスがきました。しかも5月に(笑)。ビザやチケットをとっていなくて正解でした。とっていたら激怒したでしょうね。
「まあ、(イランでは)よくあることだね」と先生方も仰るし、5月のほうが気候的に2月よりずっと良いし、運営がめちゃくちゃでも行けば何とかなるというのは分かるのですが、年度が変わってしまうと予算の都合もありますし、詳しくは書きませんが色んな面でやる気をそがれたというのが現状です。
あとは、最近youtubeで古いイラン映画がどんどんアップされているのですが、『隣人たち』の世界観とも関係しそうな1970年代の映画を何本か観ました。中身は対してエロくないのですが、ポスターなんかではエロそうな映画として売り出しているものなんかがあったりして、やっぱりエロスと映像表現というものが心理的に結びついていたのかな、なんて思いますね。『貞淑な妻Zan-e bākere』とか。これらについてはまた今度紹介します。