来るべきアレフバー の世界

ペルシア文学の余白=世界文学の中心

縄田鉄男先生の訃報

2月20日縄田先生が亡くなったことを報道で知りました。

http://mainichi.jp/area/yamaguchi/news/m20131223ddlk35060198000c.html

先生のご冥福をお祈りします。

(2015/6/14上記記事はリンク切れして確認できませんが、亡くなられたのは2013年の12月20日だったようです。訂正してお詫びいたします。)

 

いつか忘れてしまうかも知れないので、いくつか先生の思い出を書いておきます。

縄田先生が岡田恵美子先生の後任として東京外大に着任されたとき、私は学部の2年生でした。最初に先生を見たのは、外大の学食の2階「さぼおる」でのパーティーでしたが、乾杯の音頭をとられた先生は、英語のmustとペルシア語のmast(「酔っている」という意味の形容詞)をかけて、やっぱり酒がないといかん、といった内容のダジャレで学生(というか私)の心を鷲づかみにしたのでした。

そんな先生が山口県出身だということを知り、どことなく懐かしい感じの訛りのせいもあって、私は勝手な親近感を抱いていたのですが、ダメ学生であった私はよく叱られたので、あまり近づかないようにしていました。

一番印象に残っているのは、しかし、そんな先生が、修士課程の入試の面接のときは、とてもにこやかで優しかったことです。私の卒論を読んで——中途半端な稚拙な論文でしたが——、やる気だけは感じ取ってもらえたのかも知れません。

主として学部生として先生に接していた私にはこんな思い出話でお茶を濁すことしかできませんが、まだ所謂「3万円の辞書」がなかった時代にペルシア語を勉強した諸先輩(とゆうか先生)方にとっては、縄田先生といえば、あの分厚いペルシア語辞典の編纂者であり、アフガニスタンの言語の専門で知られる大学者だったのでしょう。授業中に辞書に載っている変な単語についてのうんちくを語るときの先生は最高に輝いていました。少しの間でしたが先生に教わることができて幸運でした。

 

CiNii Booksで縄田先生の著者名典拠レコードに紐付けされた書誌一覧:

http://ci.nii.ac.jp/author/DA00458701

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