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アフマド・マフムード『隣人たち』英訳が遂に出た

少し時間が経ってしまいましたが、現代イランの作家アフマド・マフムード(2002年没)の『隣人たちHamsāyehā』の英訳が出ました。

 

The Neighbors (Modern Middle East Literatures in Translation)

The Neighbors (Modern Middle East Literatures in Translation)

 

 

この作品は、私にとって、小説を読む楽しさを思い出すきっかけとなった作品であり、テヘランでひとりで生活していたときに夢中になって読んだ、思い入れの深い作品です。

この機会にちょっと紹介します。

 

アフマド・マフムード(本名はアフマド・エエター)という人は、1931年に、イランの南西部の街アフヴァーズの「中流」家庭に生まれます。10人兄弟の長子でした。

若い頃は血気盛んで、石油国有化運動が盛り上がるなかでトゥーデ党の青年部の活動に関わります。CIA主導のモルダード月28日のクーデターでモサッデグ政権が転覆された後、彼は投獄されます。

釈放後、政治活動から遠ざかったマフムードは小説を書き始めます。いくつかの短編を文芸誌に掲載し、1957年に短編集『情人Mūl』を自費出版。その後、いくつかの短編集を出した後、満を持して完成させた中編『隣人たち』原稿をもって1966年にテヘランに移住します。

しかし、出版を引き受けてくれる版元はなく、『隣人たち』の中のエピソードを切り売りして雑誌に掲載するも、出版の見通しは立ちませんでした。

1971年頃、さらにいくつかの短編集の出版を経て自信を付けたマフムードは『隣人たち』の書き直しにかかります。

そして、1974年に発表されたアフマド・マフムードの最初の中編小説『隣人たち』は、人気を博した一方で、内容が政治的であるとの理由で、当局が回収、その後増刷許可が下りませんでした。事実上の発禁です。

1978年、イラン革命直前のどさくさに紛れて大量に増刷すると、海賊版も大量に出回ります。マフムード自身が語るところでは、革命後に再度発禁となるまでに、アミール・キャビール社から刊行された正規版10万部と海賊版あわせて25万部ほどが売れたとのことです。正確な数字かどうかは今ひとつ確信は持てませんが、かなり広く読まれたということは確かでしょう。

少年ハーレドの視点から描かれるこの小説には、年上の人妻との性交の場面やその他の性的な描写が含まれており、イラン革命後は、今度は猥褻だという理由で増刷許可が下りず、今日に至ります。その一方で、海賊版のほうは、今でもエンゲラーブ通りの書店街の路上などで目にすることができます。オリジナルは公に売ることができず、著者に利益が還元されない海賊版が広まっていることについては、生前のマフムードも不平を漏らしていました。

そんな「不遇の名作」である『隣人たち』は、イランでも最近の若い人たちにはあまり知られていませんが、作家のドウラターバーディーや映画監督のメフルジューイーのような人たちに愛され、どちらかというと通の間で人気があったりします。

彼が描く世界は、殆どが彼が育った南部(アフヴァーズ)を舞台としており、彼は石油国有化運動やイラン・イラク戦争といった歴史的事件を背景にしながらも、そうした事件に焦点を当てるのではなく、政治的事件や社会の変動のなかで貧困と無知に従って行動し、苦難に遭遇したり自滅したりする人々の姿をリアリスティックに描き続けました。

そんなところに、メフルジューイーの映画の作風とも共通したものを感じます。実際、過去にメフルジューイーがこの作品を映像化しようとし、脚本を準備していたことが、近年、『シャルグ』紙のインタビューで明らかになりました。

『隣人たち』は、その語りが生み出す効果にも魅力的な特徴があります。技巧や装飾性を排除し、見たものをそのまま記述しているかのような一人称の語りは、読む者にまるで自分が主人公となってその場にいるかのような臨場感を与えます。

これは、彼が映画を作りたいと思いながら、人手や費用がかかる映画制作ではなく、「ひとりでもできる」小説での表現を続けたということと関係があるといえるでしょう。彼の作品は殆どが短編や中長編の小説ですが、短い映画脚本も2点ほど残しています。

さて、このたび発売された英訳ですが、ちょっと見た感じでは、原文のニュアンスをよく伝えているのではないかな、と思います。ま、英語のニュアンスなんて本当はわからないのですが、日本語だと、一人称を「ぼく」とするか「おれ」とするか、現在形をどうやって自然な感じの日本語に訳すか、というところでかなり悩んだりします。英語はそれがないのでいいですね。

個人的には、これを日本語に翻訳するのもよいのですが、舞台を日本の高度成長期あたりの、貧しい人たちの住む集合住宅なんかに変えて翻案小説にするのも面白いのではと思っています。

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