来るべきアレフバー の世界

ペルシア文学の余白=世界文学の中心

アッタール『鳥の言葉』

 5月に出版されたばかりの本です。友人から借りて、電車の中で読んでいます。

鳥の言葉 ペルシア神秘主義比喩物語詩 (東洋文庫)

鳥の言葉 ペルシア神秘主義比喩物語詩 (東洋文庫)

 

 まず、2010年の『果樹園』に続き、こういう古典が一つずつ、着実に翻訳されていることが、後続の学生にとってどれだけ貴重な遺産となるかと考えると、やる人が少ないだけに、その価値は計り知れません。黒柳先生の偉業に敬意を表したいと思います。

さて、こうして日本語になったアッタールを読んでいると、もうこれぞペルシア神秘主義、「お前、どこまで愛してんねん」と、突っ込みたくなるような神への愛が、これでもかと言わんばかりに語られるのですが、だんだんと頭が麻痺してきた頃に、不謹慎かも知れませんがなんだか可笑しくなってきます。

というのは、他のペルシア詩人にもあることですが、脚韻などのために、似た音や同じ韻律の語を効果的に用いたりする部分があり、そのセンスが駄洒落といいますか、パロディと言いますか、読んでいて思わず「ふっ」と鼻で笑ってしまいます。例えば、

彼は全てを神と思い、ラッブ(神)とロッブ(果汁)の区別もつかない(訳文p.161)

とか、確かにアラビア文字では母音を表記しませんから、rabbとrobbは見た目が同じになります。でも神と果汁の区別がつかないなんて、アホすぎじゃないですか。これって笑うところだと思いませんか?(私だけ?)

他にも、サアディー『薔薇園』にまさるとも劣らない面白い逸話(p.173)が登場します:

ニーシャープールのシェイフ・アブー・バクルが弟子たちと庵(修業所)から出かけた
シェイフだけはロバにまたがり、供の者たちは歩いていた
すると突然そのロバがたまたま屁を放った
シェイフはその屁で取り乱し
叫び声をあげ、衣服を引き裂いた

この後の部分で、シェイフはこのとき自分の立場に自惚れたことを考えていたときに、ロバが屁を放ったので、「このような自慢をする者に、ロバが答えたのだ、何とばかげた自慢だ!」と思い、「このために、私の魂に火がついた」と語っています。

私も朝の満員電車で、かなり近いところで屁を放られることが多々あり、非常に辛いのですが、あれも私の自惚れに対する戒めなんでしょうか・・・残念ながら、そう思えるまでの境地には、達することができていません(多分、無理)。しかし、取り乱して衣服を引き裂いたりしないで、黙って我慢している分、私の方が境地が上かも知れません。

とまあ、こんなふざけたことを書いていると、どこが神秘主義の名作なんじゃと言われるかも知れませんが、神秘道の究極の境地であるファナーに至る、本来言葉にできない過程を比喩を用いて語っている訳ですから、まあそんな境地に達してもいないのに、さらっと読んで分かったようなことを言ったらウソ臭いじゃないですか。(それこそ、ファナーも知らないバカーですよ、なんちゃってww)

ところで、この物語では鳥たちが主人公で、ヤツガシラが重要な役割を果たしている訳ですが、ペルシア文学におけるヤツガシラについては語るべきことが沢山あります。それはまたの機会に。

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