来るべきアレフバー の世界

ペルシア文学の余白=世界文学の中心

ポール・ド・マン『盲目と洞察』を求めて

久々にウラゲツブログを見て、『盲目と洞察』の邦訳発売を知ったのは、確か昨日だった。まさに寝耳に水。『読むことのアレゴリー』が先に出るとばかり思っていたので・・・

 

そして今日。 後で分かることだが、私はこの記事を見て、勝手に今日発売だと勘違いしていたのだった。

 

早々に仕事を切り上げ、某大型書店本店へ向かう。ターミナル駅で下車し、繁華街の雑踏を通り抜ける。いつもは殺伐とした人混みが、今日はなにか違ってみえる。大学院生時代に英語でひーこら言って読もうとして結局挫折したあの本が、日本語で読める。気分はもうルンルンである。

 

書店について、はやる気持ちを抑えながら人文書のフロアに行き、ド・マンの本が置かれている現代思想の棚に行く。

 

・・・ない。まさかと思い、海外文学のフロアへ。やはりそこにもない。意を決して、コンシェルジュのお姉さんに「ポール・ド・マンの『盲目と洞察』はありませんか」と訊いてみる。

 

余談だが、こういう本の所在を店員に尋ねるというのは、結構ハードルが高いのである。私の滑舌が悪いということもあるが、「ポール・ド・マン」を知らない店員が、「ぽーるどまんのもうもくとどうさつ」を一発で脳内変換できるとは、思えない。

 

いつだったか、以前、駅ナカの中型書店で、「『フーコー・コレクション』はありますか」と店員に尋ねたら、「封筒コレクションですか?」と訊き返されたことがあった。児童書から婦人雑誌、専門書、エロ本まで揃える店員からすれば、いきなり現れたおっっさんが何を求めて店にやってくるのかは、到底予測不可能であるし、まして「フーコー」という人名にも馴染みがなければ、新刊でもない「フーコー・コレクション」などを買いに来ると、誰が予想できようか。

 

ところが、さすがは有名書店のコンシェルジュ、このお姉さんは見事にディクテしてくれた。「はい」と答えてパソコンでカタカタと検索を始めた。ポール・ド・マンを知っているのだろうか。文学書のフロアにいる人だから、知っていてもおかしくはない。それにしても、「『盲目と洞察』」の発売日だということを知っていたのだろうか・・・いずれにしても、お姉さん、あなたはそこらへんの図書館員よりもずっと優秀だ。

 

さて、コンシェルジュのお姉さんが検索した結果、初めて知ったのだが、20日は書店ではなく、取次に入ってくる予定の日だったのだ。(ズコッ)

 

なんだ、今日は手に入らないのか、しかし明日や明後日にまた来るのも億劫だな〜。Amazonで買うか、と思い始めた客の心理を察してか、ちょっとお待ち下さい、もしかしたら棚にはまだ出ていませんが商品があるかも知れませんので、と何やら連絡を取り始めるお姉さん。

 

で、あった。人文書フロアのレジカウンターに用意してくれるとのこと。早速行って、ゲットした。そそくさと駅に向かい、電車を待つ間、手にしたものを開いてみる。シンプルな装丁のなかに、細かい気遣いが潜んでいるようだ。独特の、何か遠い異国で採れる鉱物を思わせる青緑色のインクに、蛍光がかった水色の栞紐。表紙と背表紙の題字は、メタリックなブルーグリーン。これは、原初の表紙の色を意識したものだろうか。標題紙と見返しの前に挟まった遊び紙の色は、確かに似ている。

 

Blindness and Insight: Essays in the Rhetoric of Contemporary Criticism (Theory & History of Literature)

Blindness and Insight: Essays in the Rhetoric of Contemporary Criticism (Theory & History of Literature)

 

 

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遊び紙。分かりにくいですが、白地の標題紙が透けて見えるようになっています。 

 

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美しく光る題字。

  

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本文。この微妙な色合い!

 

原書の出版は私が生まれる前の1971年。「しらけは罪だぜ」と言ったジミ・ヘンドリックスが死んだ頃、それとは対極にある機械のような透徹した読みの論理を鍛え上げようとしていた男が、この本の序文を書いていたのである。それから実に40年あまり。遅すぎた翻訳*1。しかし、原発事故によって、原発推進と反対をめぐって国民が真っ二つに引き裂かれ、罵りあっている今日だからこそ、見せかけの二項対立を徹底的に批判し、修辞によって読むことの可能性を信じたド・マンの脱構築的な読みが、必要とされているのではないか。

本書の出版を歓迎し、訳者と版元の努力に敬意を表します。

盲目と洞察―現代批評の修辞学における試論 (叢書・エクリチュールの冒険)

盲目と洞察―現代批評の修辞学における試論 (叢書・エクリチュールの冒険)

 

 

 

 

*1:訳者の仕事が遅い、という意味では決してありません。時期的に、という意味です。念のため。

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