来るべきアレフバーの世界

ペルシア文学こそ世界文学

6月の通勤電車で読んだ本

献本いただいた本を紹介するはずが、あっという間に3ヶ月過ぎてしまいました。何か書こうと思うと、どうしても目下の事態について何か言いたくなってしまう。

 

報道番組もエセ報道番組のワイドショーも、Go to なんとかキャンペーンのドタバタで持ちきりです。今日は都内で新規陽性者が366人との報道がありましたが、最早それが何かの判断材料になる、という雰囲気もなく。

 

経済を回さないといけないというのは分かります。自分が飲食業者や観光業者だったら、気が気でないでしょう。それについては言いたいことがたくさんありますが、それよりも何よりも、"Go To"を推進して経済と安全の二兎を追うと決めて舵を切った以上、どこへ行っても感染しない対策というのを明確に打ち出すべきなんですよ。

 

都心に向かう満員電車で通勤している人は、薄々感じていることと思いますが、あんな過密な電車に乗っていても、みんながマスクをして静かにして、ちゃんと手を洗ったり消毒したりしていれば、感染のリスクは殆どないのではないかと思います。危ないのは、近距離でマスクなしの歓談、会食、握手などの肉体的な接触だと思います。

 

だから、政府も都知事も具体的に言わないんで、JAROでもどこかの宗教団体でもいいですけど、お金があるならテレビCM使って、Go To キャンペーンが始まったんだから、旅行に行っても、行かなくても、3密の回避、マスクの着用、口や鼻に触る前に手指の洗浄・除菌、というのをバンバン宣伝するべきなんですよ。

 

緊急事態宣言が解除になったら、対策しなくてもいいと思うのか、7月に入ってから都内で飲食店を除くと、おじさんたちが何の躊躇いもなく宴会して騒いでいるのをみかけます。店も店で、大手チェーン店を除くと、なんの感染対策もしていない店が殆どです。4月5月の自粛期間に、政府も都知事もどうして来るべき営業再開に向けて対策するよう具体的な要請をしなかったのか。一律10万円配るより、アクリル板や段ボールやマスクやアルコールタオル・ジェルなんかを大量生産して配布するほうがずっとよかったんですよ。

 

なんてことを思いながら、今日も溜息をつく日々です。世の中の何割かの人は、軽率で不注意で無責任で、人類が生き残るためにはそういう人たちも必要だと思いますが、リーダーが無責任なのは本当にウンザリします。4月5月の「我慢」「辛抱」が全部無駄じゃないですか。私の通勤経路でも、時々利用していたいくつかの店が閉業してしまいましたが、これじゃ無駄死にじゃないですか。総理の責任は重大ですよ。

 

 

毎日これぐらい言いたいことがあります。今日はこのぐらいにしといたるわ。

 

閑話休題

 

 

 

さて、私は6月から少しずつ出勤を始めたのですが、その頃はまだ電車も空いていたので、通勤電車の中で、図書館で借りた本を読みました。 

公共図書館が消滅する日

公共図書館が消滅する日

 

 

緊急事態宣言が出て多くの人が外出「自粛」になり、ほどなくして、多くの図書館が貸出サービスを、限定的な形で再開しましたね。 大学図書館では、学生・教員向けに郵送による貸出なんかも行っていました。

 

図書の貸出は図書館の基本的なサービスなので、それをやることには賛成なんですが、個人的には、遠隔でもできるレファレンスサービス、検索支援、ブックリストの作成なんかに力を入れるべきだと思っていました。自分の欲しい本が必要な人は、どうにかして入手できますが、「各各然然のことを知りたいのだが、どの本を借りればいいのか分からない」という人にこそ、司書/図書館員による支援が必要だと考えるからです。

 

だから、貸出さえすれば良いと、図書館の人も思っている訳ではないとは思いますが、とりあえず貸出だけ始める、というところに、私なんかは貸出点数や利用者数といった点数至上主義の弊害を見てしまうわけです。

 

私の近所の公共図書館では、利用再開当初の貸出サービスというのは、利用者が予め資料を特定して、図書館のオンラインサービスや電話などを通じて予約した上で来館し、本を受け取るだけで、対面での図書案内などはしかねる、というものでした。図書館業界の有名な企業が指定管理者として入っていますから、他の市区町村でも概ね似たような対応だったかと思います。

 

そして、7月からは、時間制限つきで開架スペースに立ち入ることができるようになりました。最初は30分、現在は2時間になっています。そのことで逆に生じているのは、検索支援やレファレンスサービスへのニーズなのです。じっくりと書架を眺めて資料を探すことができないとすれば、「こういう本はありますか」と図書館員に訊いた方が手っ取り早いですからね。

 

私は以前から、図書館事業の評価は貸出点数や来館者数といった数値で計るべきではないと考えてきました。これらの数値は、小学生でも木っ端役人でもわかるような指標である一方で、本当にその図書館が人々の何に役立っているかを計るには全く不十分です。

 

来館者数を上げるために図書とはあまり関係のなさそうなイベントを開催したり、カフェを併設したり、そんなことをやっていては、図書館が図書館でないものになり、ショッピングモールでも作った方が良いということになりかねませんし、事実そうなりつつあります。

 

公共図書館が消滅する日』という物騒なタイトルをもつ本書は、公共図書館が無くなればいいと主張する本では、もちろんありません。まさに上に述べたような、公共図書館が図書館でなくなっていく、図書館の使命とは何かが見えなくなっていく、そんな時代において、まだ公共図書館には可能性がある、そのためにやるべきことがある、ということをじっくりと時間をかけて(438頁!)、考えさせてくれる本です。

 

大部になる著書ですが、単に分厚いというだけでなく、おそらく、若い人にはかなり読みにくい文章なのではないかと思います。例えば、Aという主張があり、それに対するBという主張があるときに、普通、というか最近のネット論壇やマスコミなんかでは、大体どちらかを支持する人が書いているから、AならAを正当化する論旨でBを否定していく。

 

しかし、物事を真剣に突き詰めようとしたら、テレビに出てくるコメンテーターの言葉や、140字で語れるSNSでは到底収まらないような議論が必要になります。

 

この本の場合、弁証法的と言っていいのか、脱構築的と言っていいのか、AならAを突き詰めるとどうなるかということを、Aの論理に従って、一見、正しいのではないかと思えるところまで論証を進めた上で、BとかCの論理をぶつけて、その難点を明らかにしていく。

 

だから、新書やブログを読む感覚でパラパラと飛ばし読みしていると、著者の主張がどこにあるのか分からないです。学生さんには長文をじっくり読む練習になると思います。私自身、久しぶりにこういう文章を読みました。20世期の評論文なんかを読み慣れていないと難しいな、と思ったし、自分の生活の中で、こういうものをじっくり読む時間というのが限りなく少なくなっていたんだな、ということに気付きました。

 

本書は、滋賀県立図書館の活動やいわゆる「中小レポート」、CIE図書館の活動、などなど(次の貸出予約が入っていて返却してしまったのでw、このあたりうろ覚えですが)、図書館界で半ば神話化されている出来事を、今日の公共図書館がなぜこうなってしまったのかという視点から吟味・再検討していきます。

 

それらのテーマは、私自身も司書資格取得のために少しかじった部分でもあり、なるほど、そういう見方があるか、と思える点が多くありました。

 

娯楽図書や文庫本を図書館が貸し出すべきかどうかということについて、個人的には、本をたくさん買うお金がないので図書館が何でも提供すればいいと思っていましたが、図書館には、売れない学術書を買い支えるという役割がある一方で、マンガや文庫本など、人々が自分で買うべきものを敢えて扱わないことで、作家や出版社や書店を支えるという役割もあるのだな、と改めて思いました。

 

指定管理者制度の下で採算や経営感覚を求められた公共図書館が、貸出点数や来館者数を増やそうと努力するあまり、貸本屋や書店や出版社を敵に回し、結局は、出版文化を縮小させ、自らの首を締めることにつながっているのではないか。この本を読んだあと、公共図書館の選書について、自分の考え方を少し変えざるを得ませんでした。

 

図書館で借りて読みましたが、このように(笑)大事なところがうろ覚えになってしまいますので、後日ちゃんと購入して手元に置いておきたいと思います。

 

6月はこんな↓本も電車の中で読みました。

 

 

これも面白いです。マラソンに出るとき、どんな栄養を摂取するかということに考えが行ってしまいがちですが、限界は必ずしも栄養や体力や気力といった一つの要素で決まるものではない。自動車のようにガソリンがたくさんあればたくさん走る、というわけでもない。本書は、体力や栄養、体温上昇など、様々な要素を掘り下げてその謎に迫ろうとします。

 

ちなみに私は2019年の東京マラソンに出場しましたが、大迫選手もリタイアしたあの寒さの中、途中で挫けそうになりながらも初出場&初完走&サブ4達成しました!!諦めない気持ちが、大事なんや(ドヤ顔)。

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中東・イスラーム関係文献を所蔵する主要図書館のサービス状況まとめ

 

献本いただいた本を紹介するはずが、あっという間に1週間過ぎてしまいました。

 

こういう状況下でも、自宅でシコシコと研究を進められる人もいれば、私のような、あらゆる言動はパフォーマティブなものだとみなす文学研究者からすると、状況(文脈)に対応した仕事をしないといけないのでは、という強迫観念を抱いてしまうのですよ・・・というわけで。

 

(4/29修正 記事本文をALEFBA.JP  https://alefba.jp/ に移動しました)

 

 

 

Back from Overwork

随分久しぶりの更新になります。

 

なぜブログを更新しなくなったのか、これを語れば非常に長くなってしまうので、それは追々、ちょっとずつ(ルサンチマンを滲ませつつ?)漏らしていくこととして、とりあえず再開しますということで。

 

現在、御多分に漏れず私も在宅勤務という状態になり、悶々とした日々を過ごしてはや10日が過ぎた。

 

もともとメールを受け取っては返し、返しては返事を待ち、というのが仕事の大半だったので、在宅になったからといって完全に暇になったというわけではない。ただ、図書を手にとって目録を採ったり、物を動かしたりする仕事がなくなり、それに付随して、口頭で打ち合わせや雑談や口説き文句をする時間が減った分、これまで帰宅後や休日に回していたウェブサイトのメンテナンスなんかを平日の勤務時間にできるようになった。また、年度末に抱えていた編集案件が片付いたことで、いくらか時間的余裕が生まれた。

 

ブログを書くことは仕事でもなければ義務でもないのだが、ブログ更新を休止していた2017年9月から今までの間にも、色んな方から著書や訳書の献本をいただいており、これらを紹介して少しでも世に知らしめることは、自称プリンス・オブ・ペルシア文学である私の義務であると、そう勘違い気味に痛感する次第である。

 

 

さて、それでは何から紹介すべきか。

 

ちょっと考えさせてください(笑)。

 

つづく(はず)

 

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