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来るべきアレフバーの世界

ペルシア文学・イラン文化研究と図書館の話

完全無欠のロックンローラー、好きだったなあ〜

シルバーウィークに「アラジン」を観てきました。

 

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四季のミュージカルを観るのは、2010年の横浜で観た『キャッツ』以来です。家族は色々観に行っているのですが、私はたいてい仕事に追われて留守番か、出張とかで居ないことが多いのです。今回、アラビアン・ナイトだから、という訳ではないのですが、急遽、行けなくなった人の代わりということで行ってきました。

 

やっぱり生の歌は良いですね。もう随分と、コンサートらしきものにも行ってないですが、自由を切望するジャスミンの歌にぐっと熱いものが込み上げてしまいました。私も自由になりたいですよ。経済的に。5億円ぐらいあれば、子どもたちが巣立つまで不自由なく生きられるんですが・・・今週もBIGはハズレでした(涙)。

 

因みにキャストは瀧山ジーニー、島村アラジン、岡本ジャスミンの組み合わせでした。アラジンの歌声もとても清らかで、私の怨念ドロドロ妄想まみれの心もすっかり洗われました!

ジーニーに至ってはこれぞエンターテイメントとしか言いようのない、素晴らしい歌と話芸(?)が炸裂して、全く飽きさせない3時間でした。しかしあれを演じるのは疲れるだろうな〜 

BROADWAY’S NEW MUSICAL COMEDY アラジン

BROADWAY’S NEW MUSICAL COMEDY アラジン

 

 

劇を観ながら、あの服装とか建物ってどのくらいリアルなのかな〜とか思ったのですが、ふと、昔エスファハーンに留学していたときに、アメリカから一時帰国していたディズニーのスタッフに会ったことを思い出しました。エスファハーン出身のイラン人で、『アラジン』の背景の建物の作画なんかに携わったということでした。そのときは23歳の単に若くてアホだった私は、へえ〜と思っただけでしたが、アラフォーの屈折したアホーになったいま、調べてみたらラスール・アーザーダーニー氏という方だったということが分かりました。 

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さて、このミュージカル『アラジン』、内容は説明するまでもなく、基本的にブロードウェイの『アラジン』を踏襲し(演出は日本向けになっている)、ディズニーの映画『アラジン』をアレンジしたものです。「アラジンと魔法のランプ」のお話をモチーフにしつつ、貧乏な青年アラジンとジャスミン姫のロマンスに仕上がっており、アラジンとジーニーの間の友情がラストの展開の鍵になっています。

子どもの頃に読んだ「アラジンと魔法のランプ」というお話は、こんな話ではなくて、ランプの魔神の力でお城を作って姫と結婚するが、ランプを狙う魔法使いがお嫁さんを騙して新しいランプと交換させて、お城ごと盗まれる、しかし指輪の魔神の力でなんとかする、という話でした、確か。

この「アラジンと魔法のランプ」という話自体が、元々のアラビア語の「千夜一夜」には含まれておらず、18世紀にフランスの東洋学者アントワーヌ・ガランによって加えられたものだということは、ご存じの方も多いでしょう。

ディズニーの「アラジン」は、この「アラジンと魔法のランプ」を改変し、1940年のイギリスの映画『バグダードの泥棒The Thief of Baghdad』から借用した登場人物(ジャファー、サルタン)を加えたもののようです。

The Thief of Bagdad (1940 film) - Wikipedia, the free encyclopedia

 

アラビア語の『千夜一夜』自体が、インドやペルシアの逸話をルーツにもち、様々なバージョンがあるわけですが、現代においてもこうしてどんどん新しいバージョンや逸話が生み出されていて、それを体系的にまとめるだけでも一苦労です。今で言うマンガやアニメの二次創作と同じですね。

日本でのアラビアン・ナイトの受容史については、詳しい研究書が出ています。

アラビアン・ナイトと日本人

アラビアン・ナイトと日本人

 

 

無論、こういうのは「オリエンタリズムだ!」(サイード的な意味で)という意見があることは、否定はしません。ここで詳しく論じるつもりはないですが、私はそういう立場は取りません。某のヤンキー文化論みたいな、ありもしない他者を作り出して排除・罵倒する言説のほうがよっぽどオリエンタリズムですよ。なんつって。そんじゃーね。

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