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来るべきアレフバーの世界

ペルシア文学・イラン文化研究と図書館の話

メフルジューイー&キャラムプール『テヘラン テヘラン』

イラン映画の鬼才、メフルジューイーは私のお気に入りの監督であります。

彼の作品『郵便配達人Postchī』(1972年)を紹介しようと思っていたのですが、いつのまにかYoutubeから消えていました。

また、彼には『サントゥール奏者アリーAlī Santūrī』(2007年)という傑作もあって、これも是非日本で紹介されるべき映画で、こないだはYoutubeで観られたのですが、これもすぐにYoutubeから消えてしまいました。

勿論、制作者の権利を考えれば、Youtubeにアップされたものなど観るべきではないのかも知れませんが、イランに行かないと観られない、というより行っても観られない映画が沢山ありますので、どうしようもないですね。

サントゥール奏者アリー』はイランのブラピ(と私が勝手に呼んでいる)バフラーム・ラーダーンと、今や国際的に話題の女優ゴルシーフテ・ファラーハーニーが主演の映画で、メフルジューイーならではの、若者を置き去りにした現代イラン社会の病理がとても分かりやすく描かれています。機会があったら絶対観て下さい!

 

で、観られないものを紹介してもしょうがないので、今回は『テヘラン テヘラン』を紹介します。これもいつ観られなくなるか分かりませんので、今すぐ観て下さい!!

 


Tehran: Days of Acquaintance - Tehran: Roozhaye ...

 

現代ペルシア語のتهران Tehrānと、過去の時代を思い起こさせるアラビア語風の綴りの طهران Ṭehrān を対比させたタイトルのこの映画は、まさに古き良きテヘランを描いた前半と、『サントゥール奏者アリー』にも通じる若者たちの閉塞感と破滅を描いた後半の二つに分かれており、前半をメフルジューイーが監督しています。

昔ながらの集合住宅、助け合いの精神、家族の絆を描く前半は、まさに私にとってもイラン=テヘランの良いところですが、後半の、音楽活動の自由を奪われ、自暴自棄になっていく若者たちの姿もまた、現実のテヘランの一面を映していると言えるのではないでしょうか。

核開発だ経済制裁だという政治ゲームに夢中になっている大人たちの陰で、若者たちは放置され、酒や麻薬や公道レースへと駆り立てられる。『サントゥール奏者』では、演奏の機会を奪われたアリーは麻薬に溺れ、ホームレスとなり、妻は愛想を尽かしてカナダに行ってしまうのですが、海外に行くことのできない、残された人たちはどうなるのでしょうか。日本でも上映されたファルハーディーの『別離』でも、娘の教育のために海外移住を選ぶ妻と、父の介護のためにイランに残ることを選ぶ夫の間で決断を迫られる娘の姿が描かれていますが、あれはまさにイラン国民の姿でもあります。

より安全で安定した生活のために新天地への移住を選ぶか、年老いた家族や慣れ親しんだ生活のためにそこに居続けるか、その選択肢のどちらも、その人なりの正しさを追求した結果でしょう。しかし、それによって家族の絆が引き裂かれるとしたら、一番傷つくのは子どもたちです。そこで、正しさを追求するだけで果たしてよいのか、正しいものと正しくないものの間で置き去りにされる子ども、イランは今まさにそんな子どもの状況にあるのではないか、とこの監督たちは問うているのだと思います。

 

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